夕端居

~マイペースな読書感想日記~

『ひとり日和』 青山七恵

 

ひとり日和 (河出文庫)

ひとり日和 (河出文庫)

 

 

二十歳の女の子、知寿(ちず)と、親戚のおばあさん、吟子さんとの約一年間の同居生活を描いたお話です。

母親の海外赴任についていくことを拒み、特に目標もないまま上京した知寿は、吟子さんが一人で暮らしている古ぼけた平屋建てに居候することになります。初めの頃こそお互いに気を遣いあって良好な関係を築こうとしていたものの、慣れてくるにつれて遠慮がなくなってきます。特に、知寿が吟子さんを観察しながら思っていることや、ちょっとした意地悪をする様などには思わず苦笑いしてしまいます。

 

遠慮がなくなってくるとはいえ、二人の距離感は決して近いとはいえません。それも、お互いに関心がないというわけではなく、あえて干渉しすぎないようにしているという感じです。それは、言い換えれば、お互いを一人の人間として尊重しあい、相手の気持ちや考え方を大切にしているということです。

普通、五十歳も歳の差があれば、若者は老人を気遣って労わったり、老人のほうでもあれこれ世話をやいたり時には説教をしたりしそうなものですが、二人の間には、それがまったくと言っていいほどありません。

それが逆に、相手を思いやる気持ちの表れであるような気がします。

 

誤解を恐れずに言えば、この小説は、何かがすごく良いというわけでも、強いメッセージ性があるというわけでもありません。

ですが、知寿と一緒にゆっくりと季節を重ねていくうちに、自分の身体の中でも何かがすこしずつ変化しているのがわかります。それは、この小説を読むことによって変化していくというのではなく、常に変化していたけれど、微細すぎて気づいていなかったものが、読むことによってそっと浮き上がってくる、という感じです。

 

そしてこの小説を読み終えた時、じんわりとした感動が身体の底からまさに浮き上がってくるのが、はっきりとわかりました。その感動は、読み返すたびに、色褪せることなく蘇ってくるのだろうということも、同時にはっきりと感じています。

『人質の朗読会』 小川洋子

 

人質の朗読会 (中公文庫)

人質の朗読会 (中公文庫)

 

 

この小説は、登場人物も年代も違う、9つの短編で構成されています。

普通の短編集とちがうのは、その物語が人質たちによって語られているものだ、ということです。しかも、それは作り話などではなく、自分が実際に経験したこと、自分の人生の一場面として語られています。

 

それを分かった上で読んでいく物語たちは、どれも内容的には他愛のないものでありながら、圧倒的な切実さを含んでいます。

 

不思議だったのは、家族や友達、恋人との思い出話などを語っている人が一人もいなかったことです。それどころか、名前も知らないような人との些細なやり取り、というのが多いのです。

異国の地で人質となり、明日が来るかもわからないような状況の中で、なぜそんな話を、と部外者である私たちは思ってしまいますが、きっと本人にとってはとても大切なものなのでしょう。だからこそすごくリアルで、引き込まれます。

 

こういう状況にならなければ、きっと一生その人の中で眠っているだけだった物語たち。皮肉にも命と引き換えという形になってしまったわけですが、そこには静かな美しさが漂っているように感じられます。

 

この本を読んだ人であれば誰もが一度は考えてしまうことだと思いますが、私も例外なく、「自分がもしこの場にいたらどんな話をしただろうか」としばし思いを馳せました。

そういう意味では、自分の人生を見つめ直させてくれる小説でもあると思いました。

 

 

『きりこについて』 西加奈子

 

 

「きりこは、ぶすである。」という一文からはじまるこの小説。

物語の設定としては、猫と人間で会話ができたり、猫のIQが700以上もあったりと、ファンタジーな要素もあるのですが、描かれている問題はすごくリアルなことです。

 

きりこは両親からたくさんの愛情をうけ、すくすくと成長していきますが、好きだった男の子に「ぶす」と言われたのをきっかけに、引きこもってしまいます。自分は、周りから見ればぶすだったんだ、ということに初めて気がついて。

 

しかし、(ここが重要なのですが)きりこは「ぶす」と言われてからも、本当は自分の顔が大好きでした。人からバカにされようと、可愛らしい服を着るのが好きでした。

それを否定する権利は、誰にもありません。

 

その後、きりこはある女の子と出会い、いちばん大切なこと、「自分は自分だ」ということがはっきりと分かります。

 

「自分は自分だ」「他人の評価にとらわれてはいけない」なんていろいろなところで言われている言葉なので、今まで「知って」はいたけれど、「分かって」はいませんでした。でも、この物語の中でそれを強く訴えられたとき、初めてその意味が痛いほど分かりました。

 

もうひとつ、この物語には猫がたくさんでてきます。私はもともと猫が大好きでしたが、この小説を読み終えたときには、好きを通り越して尊敬の感情が芽生えていました。人間がなぜこんなにも猫に惹かれるのか、その理由がすこし分かった気がします。

 

この小説を読んで、私はたくさんのことが分かりました。だからといってきりこたちのようにうまくいくとは限らないけれど、「分かって」いるのといないのとでは絶対に違うと思います。

自分が分からなくなりそうになったら、またこの小説を読み返そうと思います。

 

「きりこは、ぶすである。でも、きりこはきりこだ。